01,神田〜高尾(17:48→18:59)

↑高尾
クハ200-129
モハ200-256
モハ201-256
クハ201-129
クハ200-128
モハ200-255
モハ201-255
モハ200-254
モハ201-254
クハ201-128
↓東京
(H7編成)

嘗ては当たり前のように走っていた中央線の201系も、2006年の12月に最初のE233系が導入されて以来、少しずつ数を減らしていきます。その当時東京を訪れる機会があり、新車のE233系に心を躍らせたのも今となっては随分懐かしい思い出。その後2年の後にJR東日本らしい急ピッチでの置き換えが始まり、私が東京で暮らすようになった頃には営業運転に就くのは僅か2編成のみとなっていました。このペースでいけば全廃ももうすぐか、とも思われたのですが、高架化工事の都合上、残されたH4編成とH7編成はまだ暫くは活躍を続けてくれそうな雰囲気でした。
とは言えJRを利用する機会もあまりなかった為に、こうして偶然にせよその姿に立ち会うことが出来たのはラッキーだな、としみじみ実感しながら、オレンジの201系に乗り込みます。
始発駅ではなかったため、場合によっては座れないかな、とも心配もしていたのですが、ラッシュのピーク時間帯にはまだ少し早かったこともあってか、神田からでもM車の割合モーター近くの座席に座ることができました。その後はお茶の水四ツ谷、新宿で続々と乗客を拾い、立客も相当数が出る程度の混雑になりました。普段田園都市線を使い慣れていると流石になんとも思わなくなりますが。
その後は列車密度も高いこともあってか、やや流すような運転速度で国分寺まで運転。乗客は次第に減っていく傾向にはありましたが、それでも国分寺までは立客が消えない位の乗車率です。
国分寺を過ぎると大分郊外まで出てきたな、という雰囲気を感じます。この辺りからは速度も比較的出るようになり、201系独特の電機子チョッパの音を満喫できました。その後東京から大分離れているとはいえ、いずれもかなりの人口を持つ立川、八王子でまた大分多くの下車客があり、終点の高尾に到着するころには車両辺り10人程度の乗車となっていました。
夕闇の中をゆっくりと揺られながら、定刻通りに高尾駅に到着。大月行きの普通列車への乗り換え客が随分多いのだな、と実感しながら一旦下車します。