軽い大回りに

今日は用事で午前中新宿界隈で用事があったのですが、そのまま家に帰るのも何かもったいないような気がしたので、新宿から中央緩行線に乗り、千葉方面を目指します。祖父母宅が東京にあるので、全く東京に関して無知であった訳ではないのですが、やはり実際に暮らしてみると、自分がいかに東京のインフラについて無知であったか良くわかります。実際、中央緩行線の、秋葉原錦糸町間はまだ未乗だったりもするので、その区間を乗っておきたいな、というのもありました。
それにしても、やはり御茶ノ水秋葉原〜浅草橋までの、空中クロスは壮大ですね。まして都心部にこういうものがあるのですから、一層です。ビルの合間を縫うように走り、両国、錦糸町と過ぎ、快速線との複々線区間を走るようになります。
快速線との並走区間に入ってからは急に展望が開けてきました。古い住宅地であるがために屋根が低いのですね。ただっ広く広がってゆく屋根瓦の広がりに、「住宅地」というアイデア自体はそれほど古いものではない筈なのに、何故か過ぎ去った過去の遺物を眺めているような感じがして、無性に郷愁を誘われました。大阪で例えて言うならば、万博記念公園の、「太陽の塔」に歴史を感じるようなものなのかもしれません。中々混雑の抜けきらない緩行線の列車から、西船橋で下車します。地下鉄東西線の車両が発着しておりました。
西船橋の駅蕎麦で軽い昼食をとって、今度は武蔵野線のホームへと向かいます。とはいえ、向かったのは東京、南船橋方面ホーム。市川塩浜、南船橋西船橋からなるトライアングルの東側の1辺を乗りつぶしに来たわけです。東京行を一本見送り、やってきたのは当然205系ですが、少々顔の違う武蔵野線専用編成の0番台でした。巨大で無機質な高架線は西船橋発車後すぐに分岐し、お互いがお互いを乗り越えたり潜り抜けたりしながら、左と右へと分かれていきます。速度はやや遅めの60km/h位だったでしょうか。3分ほどで終点の南船橋に到着します。駅前には巨大なIKEAがありました。
ここでも暫く特急の通過待ちの関係から少々待ち時間が掛るようなので、ホームの端から蘇我方を眺めて過ごしておりました。先ほどの住宅地が延々と広がる光景と比べて、こちらは開発時期が遅かったのでしょう、割合整然とマンションや商業施設が立ち並んでいましたが、その数もまばらで、空が広く見えました。遥か東京湾を望むと、千葉からさらに南へと下った木更津や君津のコンビナート群が春霞の中、うっすらと伸びてゆくのが見受けられました。

ホームの感じはこんな風でした。
漸くやってきた快速電車は、今や数少なくなってしまった、201系。こんなところで国鉄型編成に乗れるとは思ってもいなかったので、ちょっとテンションが上がりました。さすがに近年になって作られた路線、というだけあって、路盤は素晴らしい。殆ど揺れずに、快調に飛ばしていきます。時々見える海の光景に心を癒されながら、およそ25分の旅はあっという間に過ぎて行きました。
東京に着きます。京葉線ホームは地下深くにあることもあり、他線との連絡には少々時間が掛ります。中3の頃鉄研の旅行で来たことがあったな、とか思い出しつつ長い動く歩道を何本か渡っていました。そして、気になっていた総武地下線のホームまで延々と15分近く歩いて漸く到着。NEXが横浜編成と、新宿編成とで全自動の分割をやっておりました。此処からは地下線で西大井まで乗車。実際今までこの区間も未乗で、どのようになっているのか、謎だったわけです。西大井手前では平面交差になっていた、とは知りませんでした。10分後の湘南新宿ラインで渋谷まで移動して、今日の行程を終了しました。