その後、大宮博物館へ

さて、朝4時台から始まったこの旅行もようやく終わりを告げた訳ですが、まだ朝の11時前。感覚としてはまだ一日の半分も過ぎていないので、鉄道つながりで大宮の鉄道博物館まで行ってみよう、ということになり、埼京線に乗り換え、再び大宮まで北上します。それにしても東京の土地にあまりなれていないせいかまだ大宮までの距離感がうまくつかめません、最近になって思っている以上に遠い場所なんだなぁ、ということは分ってきましたが。新宿で軽めの昼食を済ませて殆ど寝たまま大宮まで到着。ここから普通ならばニューシャトルに乗って行くのですが、時間も余っていたので1km強の道のりを歩いてみることにしました。
道程は普通の地方の町の道路といった趣のところなのですが、やはり隣が車両基地になっているために壁には様々なJR東日本車のアピール用と思しき写真が連なって貼られてあり、歩く人の目を楽しませてくれていました。この日は日差しが強くて暑いぐらいだったので結構疲れてきましたが15分ほどで目的地の鉄道博物館に到着しました。
入場料を払い冷房の利いた中に入ってみます。少々高めの設定でしたが、ぱっと概観しただけでもTVなどでアピールされている以上の見ごたえがあるなぁと感じられました。

一旦建物の外に出て全景を撮影します。どうでもいいのですが、「鉄道博物館」のロゴの横にある車輪を模したと思しきマークが、GOO、の文字に見えなくもないですね。

付近にはこういった場所では定番の子供向けミニチュア列車が運転されています。この車両はE231ですが、他にもNEXやE257など東日本の特急車たちが顔を揃えていました。

こちらは専用軌道を走るミニチュアの新幹線。「あさま」用E2系を模したものでしょうか。博物館内のある区間を適当な時間ごとに往復運転しているのですが、土休日ともあって相当の人出で2列車ほどは待たないといけないようでした。

もと急行型の475系が展示されてありました。車内は休憩室となっていて、行き先表示幕は「鉄道博物館」。かつて同車が東北本線を颯爽と走りぬけていた時代が今となってはどこか懐かしく思えてきます。

同車の車内の様子です。急行型のボックスシートはそのままでしたが、食事用スペースにとテーブルが新たに備え付けられてありました。
一通り外の様子を眺めた後は建物内に入ります。

国鉄最後の蒸気機関車牽引の旅客列車を運転したという、C57-135号機。静態保存ながら、ささやかな余生をここで送っています。

戦前1930年落成のED17-1号機。この後次第に機関車は6輪のEFへと転向してゆくので、4輪の機関車はまた貴重な存在です。セピア色のカラーリングといい、当時の電気機関車はまた現在とは随分変わった趣をしているように感じられました。

キハ41300系です。戦後の燃料不足が続いていた時期にディーゼルエンジン駆動から一旦は天然ガス駆動に駆動形式を変えたものの、瓦斯が高値だったことや爆発の危険性から再びディーゼルエンジン駆動に戻された、という変わった経歴を持つ車両です。

時代を少しさかのぼって、かつて上野と新潟を結んだ特急「とき」のヘッドマークを掲げる181系ボンネット車です。かつてはこうした国鉄型車両が各地の幹線を謳歌した時代もあったんだなぁ・・・、とふと思ってしまいます。

寝台客車の22系が保存されていまして、その乗降口辺りを撮影してみました。客車3段寝台をあらわす、★1つのマークが、かつて多くの人々が夜行列車を利用して旅行していた時代を思わせてくれます。(とは言え客車3段、って相当窮屈で疲れるのでしょうが)

同編成のヘッドマークは「あさかぜ」。かつて東京と博多、という九州の玄関口を結ぶ特急だった当列車ももう数年前に過去のものとなってしまいました。

こちらは東北新幹線で最初に使用された200系。この団子鼻は0系譲りのままです。新幹線車両はやはり高速走行することもあって非常に寿命が短く(20年ぐらい)、現在はもうこの編成が走行する姿を見ることも出来ないのか、と考えると少しさみしい気にもなってしまいます。

で、その近くに佇んでいる0系ですね。こちらは途中で車体が切断されていて横から見ると少し残念な恰好ですが、最近になってまた完全な編成の0系を導入することが出来たのだとか。やはり「夢の超特急」の象徴である0系は東日本としても何としても押さえておきたい車両なのかもしれません。

はっきりとは覚えていませんがモケットの感じから、確か先程の200系の座席のように思います。当時はまだフリーストップのリクライニングも無く、乗り心地も今ほどは快適ではなかったのではないか、と思います。

この他にも様々な「在りし日の車輛」たちが置かれていたのですが、いったんここで2Fへと移動します。2階、またその上の3階は車輛そのものではなく鉄道車両の技術的な面の仕組みや、その他鉄道に関連する様々な道具(タブレットなど)の展示、後は定番の巨大な鉄道模型ジオラマ、また企画展示として(JTB100号を記念してか)新旧の時刻表をあれこれ揃えた展示などを見ることもできました。また先程の車輛スぺースは上層階まで吹き抜けとなっており、この2階から1Fを俯瞰して眺めることもできます。

丁度中央のSL、先程撮影したC57-135号機が転車台上をぐるりと一周するところに出会いました。時々汽笛の音を響かせてくれるのですが、流石SLとだけあって、館内全体にまで響く豪快な音を聞かせてくれました。

2Fにはかつて日本全国を走った数々の車輛たちのヘッド・マークが並べて展示されている区画もありました。これはかつて(一部には今も)走っていたブルートレイン全般のヘッドマークを集めている区画です。
室内ばかり歩いているといい加減疲れてしまうので一旦屋上のテラスに行って休憩・・・、のはずでしたが、思っていた以上に東北新幹線ニューシャトルの俯瞰がよく、暫くの間撮影していました。

長野からのE2系が通過して行きました。この辺りでは既に東北新幹線上越新幹線の線路系統は分断されているようで、上りの上越新幹線側が一番手前の線路に入るので撮影しやすかったように思います。

続いてこちらはその新幹線の高架橋に沿って走るニューシャトル。確かに新幹線の沿線って、特に都心部だと騒音が時として問題となりうる上に駅がないと便利さは変わらず全くいいことなし、という事情もあるようで、そう言った状況を何とか改善したいという意向もあって完成した路線なのかもしれません。
一通り休憩したところで再び1Fに戻り、さっき撮影できなかったいくつかの車両を撮影してみます。

ヤード内での貨物編成などの入替用に製造されたDD13系。そんな中でちゃっかりトップナンバーの一号機を持ってきている辺りがまた趣を誘います。

こちらはEF66-11。今春営業運転を終了した「富士」「はやぶさ」の牽引も担っていた有名な機関車ですが、初期に制作された車輛たちはともかくとして、最近は貨物輸送の場面においてもだんだんとJR製造の機関車への置き換えが進んでいるように思います。

こちらももう旅客運用からは撤退し、貨物輸送の場面でも続々と置き換えの進むED75系。「エルム」のヘッドマークもまたかつての上野札幌夜行の全盛期を彷彿とさせてくれるように思います。

そして、最後の写真となるEF58-89。こちらも一般機関車の正方形型の顔とは少し違った趣の、何処かに丸みを帯びた流線型を含む顔つきが印象的です。これと同じ茶色塗装の61号機はお召列車牽引機とされていたのも、この独特のスタイルがあってのことだったのかもしれませんね。

こうやってあちこち回っている間に時間はあっという間に過ぎて4時を過ぎてきてしまいました。他にも色々と訪れた場所はあり、紹介してみたい気持ちは山々なのですが、他の件についての記事も書きたいので今回はこの辺りで、鉄道博物館の報告は終わりにしようかな、と思います。夕方からちょっとした用事があったので都区内にまた戻らなければならなかったのでそろそろ出発です。随分とまた一日遊びつくしたな、と思いつつ充足感に浸りながら再び埼京線に揺られて新宿まで帰ってきたのち、一緒に来た友人と別れて、家に帰りました。