開業後の大井町線

さて、昨日の通り大きなトラブルも無く無事に開業に至った大井町線。もともと(1980年ごろのことを指します。それ以前の経緯は省略。)は二子玉川大井町を結ぶ都市部近郊の小さなローカル線だったのですが、過剰な混雑で有名だった田園都市線のラッシュを解消するためのバイパス路線として2000年代後半から注目されるようになりました。計画の上ではこの路線、実は鷺沼まで延伸計画があるのですが、現実問題として溝の口〜鷺沼まで新たに2線を敷設することは事実上不可能に近いので、ある程度は現実と妥協すべく、溝の口までの延伸に留められました。
計画としては、まず前段階として大井町二子玉川間に定期の急行列車を2008年導入。以前は25分程度かかっていた同区間が朝ラッシュを含めて17分程度へと改善され、品川、新橋、上野方面へ行くのなら大井町線の方が若干速い、ということで田園都市線からの通勤客の移動を積極的にアピール。ですがやはり区間が短いため、及び乗り換えの煩わしさは避けられず、この効果は限定的であったようです。特に私個人の経験としても朝のラッシュのピーク時の準急の混雑は相当のものだったなあ、と実感した記憶があります。
ですが、今回の溝の口延伸で大きく変わったのはやはり南武線沿線からの人の流れまで取りこむことに成功した、という点ではないでしょうか。今までは南武線沿線から都心部へ東急を用いて移動しようとすると、各駅〜武蔵溝ノ口溝の口〜(田園都市線)〜渋谷、のルートが通常で、わざわざ二子玉川で乗り換えてまで大井町線へと抜ける人は少数派であるように思うのですが、これにより乗り換えなし、しかも始発駅として溝の口大井町の移動が可能になり、大きく利便性がアップしたように思います。また心理的な距離感が短くなったのか、ラッシュの際にも田園都市地域から溝の口大井町線へと乗り換えて品川地域方面へと向かう人の数が随分と増えたように思います。特に開業後暫くして定期券ユーザーも定着し始めたころになると、田園都市線に乗っていても、以前は渋谷まで乗客数が一方的に上り調子だったのが最近では溝の口で一旦ピークが去り、その後再び増加していくという風に混雑の有様が随分と変わってきたな、と実感。
これで田園都市線の混雑率解消計画はひと段落したのですが、最後に行われた、この溝の口開業は一番大きな影響力を持っていたのではないでしょうか?「混雑緩和」の為に努力する企業など、乗客減に悩む地方ローカル線にとっては羨ましい限り、なのでしょうが、これはこれで同じように解決すべき一つの問題なのかもしれませんね。