29,備後落合〜三次(12:18〜13:45)

キハ120-332(WC)

さて、ここからは芸備線を経由して、三次まで移動することにします。奥出雲おろち号の下車後は、やや急ぎ足で次の列車に乗り換えて、キハ120では数少ないボックス席の窓側に座ります。列車の到着前には既に1人乗車していましたが、続々と移動してくる乗換客で発車時には乗客は10人程になりました。

「奥出雲おろち号」が若干遅れていたために、あまり山間の日本一寂しい乗換駅とも言われるこの駅の雰囲気を楽しむ時間がなかったのがちょっと残念でしたが、発車まで2.3分は時間があったので、構内の乗換通路から先ほどまで乗車してきた編成を撮影。すぐに木次方面へと折り返すこともあってか、既にスハフ15にはバックライトが点灯しています。

構内にある標識や確認用のカーブミラーなどに、最近の時代の流れを感じますが、それでもこの駅を包んでいる空気は明らかに「国鉄」のもの。紅葉の終わりかけた静かな駅のホームで、柔らかい日差しを浴びながら、キハ120が出発の時を静かに待っていました。
そして、列車は定刻通りに備後落合駅を発車。キハ120のエンジン音が響きます。

ポイントを渡って、列車は芸備線の線路へと進んでいきます。車両後方の窓から、去りゆく備後落合の駅の全景を撮影。ホームには広島方面から奥出雲おろち号に乗車しに来た人や、先ほどの列車からそのまま木次方面へと折り返す人などで、結構な賑わっているようでした。

駅を出発して暫く走ると、木次線の線路が分岐して分かれて行く様子を見ることが出来ます。山間の集落を横切ってひかれた、綺麗な曲線線路に、模型のレイアウトのような懐かしさを感じました。
列車はその後は山間の線路を走ります。動物との衝突を避けるため、とか、保守にかかる費用を節減するため、など色々な理由が推測されている、制限15kmや20kmの区間が多く、どこか乗車していてもどかしさを感じる区間が多いように感じられました。列車自体が少ないとはいえ、結局は所要時間の拡大〜利用客の減少、という流れを生みかねないこの運転形態に、どこか違和感を感じつつ、列車はゆっくりとした速度で谷沿いを進みます。

嘗ては急行ちどり、たいしゃく等多くの優等列車が行き交ったこの区間も、今や1日数本の普通列車が行き交うのみ。車窓には、中国山地の間に広がる小さな平野部が移ろいます。

紅葉には少し遅れてしまったようですが、澄んだ川が流れ、広葉樹が四季の移ろいを表現してくれるような里山の景色が広がります。地勢的にも鉄道路線網的にも、すっかり「マイナー地域」となってしまったこの地域も、随分魅力に富んでいる場所なんだな、と再認識することができました。

列車が進むにつれて次第に川幅を広げて行く西城川を渡り、大分平野が開けてきたな、と感じた頃に、列車は庄原の市街地へと入っていきます。
いくつもの15km制限区間を超えて、40分ほどで列車は備後庄原駅に到着しました。殆ど乗降客もいないかと思われたこの区間でしたが、それでも全体で4.5名の乗客、降車客がありました。
備後庄原では列車の交換待ちのため10分ほど停車。折角なのでホームに降りて、駅構内を散策してみることにしました。

構内から備後落合方面を向いて1カット。起伏の緩い山々の連なる中国山地の山間に広がる小さな平野を、線路は真っ直ぐに伸びて行きます。嘗ての陰陽連絡線として作られた経緯もあり、本当の末端路線とは違った線路の雰囲気を感じました。

向かいのホームに移動して、停車中のキハ120を撮影。三次地域の山間部でしか出会えない独特のカラーリングの編成です。

列車の発車時刻も近づいてきたので、発着ホームからの撮影。背景に先程眺めた長い線路が入り、空気感のある1カットとなりました。この駅もやはり国鉄時代の空気を濃厚に残す駅で、キハ120もこのカラーリングで、ある程度絵に成るな、としみじみ。

そして、備後落合行の交換列車が入線して来ました。となりの2番線に入るのかと思いきや、奥の3番線への入線でした。
対向列車がやってきて一息ついた頃に、漸くこの列車も発車です。
車内に戻ると、随分乗客が増えているな、と実感しました。備後庄原から三次の間は、そこそこの需要があるようで、土日の昼間の列車とは言え、ロングシート部がほぼ一杯になる程度の乗車率でした。

列車は西城川が作る平野をゆっくりと進んでいきます。この区間になると制限15km/h区間も大分減り、そこそこ快適な運転となります。時折川をクロスしながら、列車は三次駅を目指します。
これから乗車する福塩線との分岐駅である塩町駅を過ぎると、大分市街地らしい光景が広がるようになりました。途中駅からの乗客もそこそこいて、座席が概ね埋まる程度の乗車率になって、終点の三次駅に到着です。